夜走る 6 |
あっ失礼、ちょっと待って下さい、落ち着きますから、整理しますから。
呼ばれたんですよ、あの男に。
産まれた時からずっと5歳年上のあの男が「遅くなったけど大学の入学祝いしちゃるから、ビシッと決めて来いやっ」と連絡してきたんですよ。
.........カブキチョウに........歌舞伎町に来いと。
夜をまとってないと歌舞伎町じゃないじゃないですか、あの街は。
だって、「11PM」では何時だって歌舞伎町は夜だったじゃないですか!
少なくとも当時の私は、夜にだけ実在する街!それが歌舞伎町と信じてました。
私が上京した年の夏ですから昭和54年です。
はっ? 西暦?
昭和で思い出した方が雰囲気が伝わると思いますけど....。
当時は、油断してたら左から袖を引かれ右から腕ロックされ強引に店に連れ込まれビール1本5000円!嫌ならテーブルチャージ料2万円だけ置いて出てけ的な強引な「客引き」が横行していた時代です。
奴等、流石でしたね....プロですね...すぐ分かるんですね。
どれが、獲物か!
すぐ捕まりましたね私、イナカモン丸出しですからね。
まず見上げてますから、ビルやネオンをキラキラとした目で。
人の群れの避け方知りませんから、ぶつかる度に睨んだりしてますから。
「毎日お祭りなんじゃのぉ」と無意味に半笑いですから捕まります、カモです。
ガシッ
「オニーチャン逃げちゃ駄目よん」っと二人に掴まれた。
残念です、当時の私はこのお二人の想像以上にイナカモンだったのです。
夜の歌舞伎町は危険、ヤクザ、ナイフ、チャカ、シャブ、内臓売られる、コンクリ詰め、と激しくすり込まれていた思い込み大王な19歳なのです、大変緊張していたのです。
ゴツッ
必死で振りほどこうとした腕に嫌な音と感触が伝わってきました。
鼻を押さえてしゃがみ込む左の彼を一緒に見ていた右の彼はワザとでは無いと説明しようと思考している私の顔面に既に拳を入れていました。
流石です、都会の人は仕事が早いです。
折れ曲がった体は左の彼にシャツの肩を下から引っ張られたからだけじゃなくて腹を蹴られたからですし、目の前がピンク色に見えたのはそんな位置にある頭部を右の彼がサッカーボールみたいに蹴り上げたからなんです。
「どしたん?」「あっどーも、こいつが」みたいな声がして、チャリチャリと踵に蹄埋め込んだ足音が近づいて来て何か指示しました。
流石です、都会の人は仕事が丁寧です。
他の歌舞伎町を楽しむ方々の迷惑にならないように配慮してらっしゃいました。
ビルのすき間に引きずられ甲羅の無い亀になった私は激しい痛みの連続の中で来るはずも無い「浦島太郎」を呼び続けました。
勿論、心の中でです。
口開けるといろいろと嫌な事になるでしょ。
カチャッ
頭上で金属音がしました。
もう限界です、恐怖が堰を切りました。
だって歌舞伎町でカチャッですよ、東京湾に沈むんだぁ〜、行った事無いけど〜って思いましたね。
古い自転車のブレーキ音みたいな声あげて泣きました、手に触る物投げつけ振り回し、最後は側溝のコンクリの蓋を頭上に持って泣きじゃくりました。
何か言ってましたけど投げてしまいました、だって歌舞伎町でカチャッですから。
流石です、都会の人は優しいです。
よたよたぼたぼたふらふらびちゃびちゃと走る私に人々は道を開けてくれました、さっきはあんなにぶつかっていたのに今は駅伝のアンカーの様です。
次の日の午後、汚いアパートの布団の上で唸っていると「生まれた時から5歳年上の男」が現れずっと待っていたのに来ないので一人でしこたま飲んだのだとさんざん文句を言った後で..............。
「お前、ちっちゃい頃からケガの仕方へたじゃのぉ、いっつも母ちゃんに心配させちょった」
「周りの人間に分からんようにせえや、こんぐらいのケガはの」っと赤いペンキをぶちまけた前衛芸術作品の様なシーツをはぎ取り洗濯をしてくれた。
「お湯で洗うと落ちないんだよねぇ」と次の時は一夜置かずすぐに水に浸けるようにと産まれてからずっと5歳年上の男は注意した。
東京ライフは、そんなに度々こんな事になるのですか!!お兄ちゃん!