人はひとりぼっち |
リンクを貼らせて頂いているブログEssais d'herméneutique-宇治家参去の記事「人の死を巡り噴飯するマイノリティー」内引用文のこれまた引用です。
◇高橋悦男「『人の死』に無知な子供たち 現実直視させる教育を」、「私の発言」、『北海道新聞』(2004年9月18日(土)付)。
六月に長崎県佐世保市で起きた小六女児殺害事件は、今でも信じられない出来事であった。事件の後、私が代表を務める「北海道教育問題企画」は、子供たちの死に対する考え方を知るために、全道の小学六年生千人を対象にアンケートを行った。この組織は一九九八年に設立され、現在、現役・退職教師、主婦ら約五千人の会員がいる。調査は六月から七月にかけ、元会員などの協力も得ながら、離島も含め道内の約二百校を直接訪れて質問要旨を渡し、児童らに答えてもらった。その結果、驚くべき実態が分かった。
質問は二つ。初めに「あなたは人が死んだらどうなると思いますか」と尋ねた。答えは五つの選択肢から選んでもらった。結果は「生き返ると思う」が85%と最も多く、「この世からいなくなると思う」が6%、「土に返ると思う」が4%、「天国に行く」が3%、「分からない」が2%と続いた。
二つ目は「生き返ると思う」と答えた子供たちに理由を尋ねた。この答えも選択形式で、「テレビやビデオのドラマや事件や事故、自殺等で死んでも、翌日の別の番組で生きて出演しているから」が55%、「マンガや劇画で死んでも返信して活躍しているから」が25%、「家のじいちゃんばあちゃんがずっと長生きしているから」が7%、ほかに「家の親戚で人が死んだことがないのでよくわからないが生き返ると思う」など13%だった。
ある程度は予想していたとはいえ、これだけ多くの子供が人の死に無知なのには衝撃を受けた。原因を分析してみると、第一に考えられるのは核家族化、少子化、高齢化社会により家族の死という経験が少なくなっていることだ。第二はドラマやマンガ、劇画の影響。第三は死について家庭や学校で現実の世界の出来事として具体的に教えず、むしろ避けてきた結果だと思う。
このままでいると子供たちがいつ被害者や加害者になるか分からない。悲惨な事件の再発を防ぐために、家庭や学校での人の死について具体的に事実を教え、簡単に「生き返る」という妄想をかみ砕いて払しょくすることが必要である。さらに「生命に対する畏敬の念」をじっくりと育てていくことが大切だ。家庭と学校の密接な連帯があらためて求められている。(北海道教育問題企画代表=札幌)
................だろうか。
「命」について学校でも家庭でも教えられるだろうか。
なぜ、人は死ぬのだろうか。
なぜ、人を殺したらいけないのだろうか。
なぜ、医者は老衰の患者の延命をするのだろうか。
なぜ、死刑は存在するのだろうか。
................だろうか。
正しい「命」の答えを子どもに説明出来るのだろうか。
クジラと牛は命に差があるのだろうか。
分裂を繰り返す細胞の命は分裂の数だけ命があるのだろうか。
伸びるツメや髪の毛は命があるのだろうか。
誰か本当の事を知っているのだろうか。
生きものの中でマイノリティーと言えば「人」だろうか。
命について考えるのは「人」だけなのだろうか。
共存することは可能なのだろうか。
生きものの中での「人」の死は区別されるのだろうか。
生きる事に意味を欲しがる「人」は死にも意味を欲しがるのだろうか。
「地球に優しい」とか言ってますが星も生きものなのだろうか。
惑星をいつから何を根拠に生きもの扱いで話を進めてるのだろうか。
星や生きものは死に対して「反応」以外の感慨があるのだろうか。
人の命は地球より重いだろうか。
誰がどんな計りでそれを証明したのだろうか。
ぁぁ、私は人だ。